動物から学べ!メンドクサイ現実を生きるための指南書「君は動物(ケダモノ)と暮らせるか」

文筆家。コラムニスト。コミュニケーションや性愛、家族問題などを扱ったブログを執筆するうちにフリーのライターとなる。朝日新聞出版「AERA」や「VISITJAPAN」などで執筆。ウェブメディア「ジセダイ」や「AM」にてブックレビューなどを連載。個人活動として、3.11までの原発の歴史を絵本化する「原発絵本プロジェクト」を主催。 45カ国を旅した無類の旅好き。現在、初の著書を執筆中。

かつて東中野に、伝説のペットショップがあった。

その名は「動物堂」。アーティストの飴屋法水さんが経営する、珍獣専門のペットショップだ。

初めてそこを訪れたのは小学校4年生のときだった。薄暗い地下への階段をおそるおそる降りると、そこには東京の中野区とは思えない異空間が広がっていた。店内をぎっしりと埋め尽くしたケージの中を、見た事もない珍妙な動物がうろうろと動き回っている。体長1mはあろうかという、熊なのか猫なのか分からない謎の生き物が、フロアの隅におっさん座りで陣取っている。キバをむき出しにしたサルが、客を威嚇している。その他、アマゾンの奥地から来たナントカ、やら、サバンナに生息するほにゃらら、やら、オオアリクイからナマケモノ、ミーアキャットにワラビー、果てはワオキツネザルにいたるまで、動物園でしか見た事のない生き物が、人間の手に届く距離で「販売」されていた。

店長である飴屋さんはいつも、小汚いチェックのシャツにぼろぼろのエプロンというスタイルで、ひげをボーボーに生やし、なにかしらの珍妙な動物をいつも懐に抱えてミルクを与えていた。その頃小学生だった私には、彼が有名なアーティストであることは知る由もなかったが、なんとなく小学校の教師や勤め人の親など、周りの大人たちとは異なる雰囲気を感じ取っていた。私にとっては飴屋さんという人間が、ケージの中の異国の生き物よりもよっぽど特異な「珍獣」だった。そこに来ているお客さんも、なんだか気合いの入った動物好きというか、このヘンテコな動物たちとタイマンすんぞ、愛でちゃうぞという熱気をむんむんに発しながらワオキツネザルやナマケモノのケージを覗き込んでおり、ほの暗い店内(夜行性の動物が多いからだ)は常に、どこか人間的ではない、低いんだけどもつねにどくどくと波打つような、妙なテンションで満ちていた。

ポケモンと縄跳びに飽きた小学生にとって、東中野の動物堂という場所は、そんなお客さんや飴屋さんも含めて、本物の「かいじゅうたちのいるところ」(Where The Wild Things Are)だったのだ。

その後、動物堂はフクロウ専門店となり、知らないうちにひっそりと閉店し、飴屋さんはアーティスト業に復帰してしまったのだが、その飴屋さんがペットショップ店長時代に一冊だけだした、動物飼育に関する書籍がある。

その名も「君は動物(ケダモノ)と暮らせるか」。

珍獣、それもワシントン条約のサイテスⅠ種に該当するような超珍獣も含めた、動物全般の飼育指南書である。ここまで読んで「えーっ、あたし、犬とか猫のほうが好きだしぃ、ここドッグフードの会社のサイトだしぃ、珍獣なんて…」と思った方。ちょっと待ってほしい。

13年以上前に書かれたこの本は、ミミズからヤマネコまで、あらゆる動物たちと格闘してきた飴屋さんだからこその「ペット(生き物)を飼う事の本質」を突いているのだ。そこには珍獣もイヌもネコも関係ない。

たとえば、このくだり。

“私の大好きな少年ジャンプのマンガ、「ジョジョの奇妙な冒険」の悪役にならって、すべての動物を飼っている人々に向かってこう叫びたい。

「無駄!無駄!無駄!無駄!無駄~っ!!」

そう、動物の飼育なんて無駄のかたまりである。ただ、それは子どもを産んで育てるのと同じくらいに無駄で、恋愛に悩む事と同じくらいに無駄で、今まで何千回としたセックスと同じくらいに無駄ということなのだ。そこには否定も肯定もない。”

…どうです。この見事な言い切りっぷり。こんな具合で、飴屋さんは次々と「動物をペットとして手に入れ、飼育すること」に付随する、甘い砂糖菓子のようなほのぼのとした幻想、きらきらとしたイメージを徹底的に剥いでゆくのである。

“愛玩動物である犬猫は愛玩されることが仕事であるところの家畜。例えて言うならプロ意識の高い風俗嬢である。一方で珍獣は、愛玩が約束されていない素人。つまりデートクラブみたいなもん。”

我が家の一員である○○ちゃんを風俗嬢だなんて!とお怒りになる方もいるだろうか。でも、飴屋さんの指摘は正しい。ペットだろうがなんだろうが、いったん値段がついた以上、人間側の自己都合による生命の売買であることには変わりない。飴屋さんは動物飼育を「人身売買」になぞらえ、本来お金で買えるはずのない生命(商品としての均一化から遠ざかろうとする、多様化に向かう生命のシステム)をお金で買うことに対して人間が感じる、うしろめたさや気まずさの正体を見事に暴く。

“女を買うのは女好きだけである。動物買うのも動物好きだけである。女好きはネガティブな言葉だが、動物好きには悪い人はいないなどと言われる。大ウソである。どちらも、自分の欲望を押し殺せないだけだ。動物好きと自然好きは全然違う。本当の自然好きは(もしそんな人が本当にいるのなら)動物なんか買わないだろう。もちろん女も買わないだろう。だってどちらも不自然な行為だから。”

本来値段のつかないはずの生命に値段をつけて商品として売り買いすることへの違和感。人間というのは勝手なもので、コントロールできないものにこそ愛欲を抱く不思議な生き物だ。

愛する人と付き合いたいという恋愛初期の強い情動も、まだコントロール不能な相手を手に入れてかわいがりたい、自分の気休めとして愛玩したいというコントロール欲求だし、犬や猫を飼うのも同じである。

これを読んでいると思う。

人間って、なんてヘンテコな生き物なんだろう!って。

人間の、生き物を手に入れて可愛がりたいと言う欲望のほうが、珍獣たちの生態よりも、よっぽどヘンテコで、非効率で、不思議だ。飴屋さんは、もしかしたらこの本を書く事で、ヘンテコな動物の生態よりも、ヘンテコな人間の生態をあばきたかったのではないか。

「コントロールできないはずの生き物に値段つけて売り買いしちゃう俺たちのほうがよっぽどヘンテコだぞ!」って。

飴屋さんは人間に都合のよい用に作り替えられた生命の仕組みと、それに囲まれて生きる現代人の生活を「ダッチライフ」と呼んだ。それに習えば、私たちの愛なんて所詮「ダッチ・ラブ」である。都合の良いように相手を動かしたいという疑似のコントロール欲求である。ポルノグラフィティは「僕らはこの街がまだジャングルだったころから変わらない愛の形を探している」と歌った。二足歩行という他者コンシャスな生物形態を取り始めた時から、我々人間の、わけわからん他者を手に入れたいと言う欲望は、決して途切れることはないのである。

しかし、飴屋さんのすごいところは、その人間たちが持っている愛欲、飼育欲、育欲を、肯定してしまうところなのである。

人間、いけないと思いつつもついついナマでやってしまうように、誰かを手に入れたい、世話したい、孤独を埋めてほしい、とついつい思ってしまう生き物なのだ。

それでもいい。そのあとだ。現実は思う通りには上手く行かない。他人にコントロールされてくれるものなんて、そうそうありゃしない。その、思い通りにならないものをいかに愛するかということ。

手に入れた後のどうしよーもなくツマラナイ現実、例えば、せっかく金を出して家に持ち帰る権利を手に入れたソレが、どんなに臭くてどんなに慣れなくてどんなにメンドクサイやつだったとしても、その現実の尻拭いは自分でしろ、そのどーなるか分かったものじゃない感を、自力で全肯定しろ!それが、自分じゃない他人(人間でも動物でも)と生きる事の醍醐味なのだ!と飴屋さんは力説しているのだ。

この本はつまり、一見、動物の飼育指南本に見えて、実は、どうやって己の器を広げ、いかにして異なる存在と共生するか、という、ヒトが生きるための指南書なのである。

確かに、恋愛にしたって子育てにしたって、ふわふわした幻想が崩れたあとの、地面すれすれの重たーい現実、なんの浮力も持たない重い鉛のような存在に成り下がってからの時間のほうが、ずっとずっと長い。その時に「幻滅した」とテンション下がりっぱなしの相手よりも、しょうがねーなー、と面白がってくれる相手のほうが、ちょっとだけ軽やかに、できるだけ現実の重力に、負けずに生きていけそうな気がする。

幻想がはがれた後の、メンドクサイ相手と付き合え。そして、それを面白がれ。その方法を、動物たちから学べ、とこの本を通じて飴屋さんは私たちに伝えているのだ。だんだん飴屋さんが、動物教の教祖に見えてきた。南無南無。

そう書くとなんだか説教臭いように聞こえるかもしれないが、本書の大部分は、知っていても(大半の人には)役に立たない珍獣飼育に関する知識で埋め尽くされている。アルマジロは一般的なイメージよりもずっと動きが速く、家中のフスマをぶちぬいて走り回った挙げ句に返品される、とか、サルは人間なみに頭がいいので平気で客に対して男女差別をする、とか、ヤマアラシは猛烈に臭い、とか。そういう、一見役に立たないクスっと笑える豆知識から、動物を人間に慣れさせるには?とか、自分に合った種目を選ぶには?とか、イヌやネコ好きにも役に立つTIPS、果てはペットビジネスの裏側まで、奥深い情報が詰まっている。面白がりながら、笑いながら、気がついたら自分自身の生き方、他者との付き合い方、ヒトという生き物のあり方にまで、考えが及んでいる。

飴屋さんという巫女を通して、ありがたーい動物サマたちからのご託宣を受け取ろう。彼らはなんにも考えていないからこそ、楽しく生きる術を教えてくれるのだ。

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